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東京地方裁判所 昭和47年(刑わ)4501号 判決 1972年9月27日

主文

被告人を禁錮一年二月に処する。

この裁判の確定した日から四年間右刑の執行を猶予する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は

第一  公安委員会の運転免許を受けないで、昭和四七年五月一七日午前四時五五分ころ、東京都大田区大森西五丁目一番一号付近道路において、普通乗用自動車を運転し

第二  自動車運転の業務に従事していた者であるが、前記日時ころ、前記自動車を運転し前記番地先の交通整理の行なわれている交差点を蒲田方面から環状七号線方面に向かい直進するにあたり、同交差点の対面信号機の信号が赤色の停止信号を表示していたのであるから、早期にこれを発見し、これに従い、同交差点の停止位置で停止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、同信号に気づかないまま時速約五〇キロメートルで同交差点に接近した過失により、右停止位置で自車を停止することのできないまま、これを右交差点に進入させたうえ、折から右方道路から青色信号に従って同交差点に進入してきた山本真(当時二一年)運転の普通乗用自動車に自車を衝突させ、よって、同人に加療約九日間(実通院日数四日)を要する頭部頸部外傷の、同人運転車両の同乗者山本一営(当時五〇年)に加療約三か月半(入院二三日、実通院日数三九日)を要する左鎖骨骨折、頭部打撲の、各傷害を負わせ

たものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(法令の適用)

判示第一の所為につき 道路交通法六四条、一一八条一項一号(懲役刑選択)

判示第二の所為につき 刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号(刑法六条、一〇条により昭和四七年法律第六一号による改正前のもの)

科刑上一罪の処理 判示第二の各所為は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として犯情の重いと認める山本一営に対する罪の刑で処断(禁錮刑選択)

併合罪の処理 刑法四五条前段、四七条本文、一〇条、四七条但書により重い判示第二の罪の刑に加重

刑の執行猶予 刑法二五条一項一号

(量刑の事情)

本件は、運転免許を有しない被告人が、早朝、自動車の路上練習をした際、制限速度(時速三〇キロメートル)を大巾に越える時速五〇キロメートルで判示交差点に接近したうえ、右交差点の存在にも、信号機の存在にもまったく気付かないまま、自車をこれに進入させた無謀運転に基づく事故であり、何ら落度の認められない被害者両名に判示重軽傷を負わせた被告人の刑責は、まことに重大であるといわざるをえない。右の点に加え、被告人がかつて運転免許を有してはいたが、昭和四五年一月に酒酔い運転罪で罰金二万円に、同年三月一一日に無免許運転罪(右酒酔い運転を理由とする免許停止期間中の運転)で罰金三万円に各処せられた前科を有し、その直後、免許取消の行政処分を受けた者であることをも併せ考察すれば、検察官の、被告人に対する禁錮一年二月の求刑は、十分傾聴に値するところであって、本件につき罰金刑を選択されたいとの弁護人の意見には、いかんながらとうてい賛同することができない。

そこで、すすんで、被告人に対し、禁錮刑の実刑を科すべきであるかどうかにつき、さらに検討する。前記の諸事情からすれば、本件における被告人の刑責は、きわめて重大であり(1)幸いにして、被害者両名の傷が後遺症を残すたぐいのものでなく、右両名がすでに健康を回復しているとみられること、(2)両名との間にすでに示談が成立し、合計三一五万円という比較的高額の金員が支払ずみであること、(3)本件運転の動機が、遊興のためでなく、内定した就職先からの指示により、改めて運転免許試験を受けるための練習であったこと、(4)前記免許取消の行政処分を受けた後においては、被告人は極力無免許運転を慎しみ、その間無事に二年の期間が経過していること等の事実を、最大限度被告人のため利益に斟酌してみても、これをもって、被告人の刑の執行の猶予を相当ならしめるに足りる十分な事情であるということはできず、本件につき、被告人を相当期間刑事施設に拘禁することは、やむをえない措置であるかに思われる。(当裁判所も、よほど被告人を実刑に処すべきではないかと考えた。)しかしながら、さらに考えるに、被告人は、現在独協大学四年に在学する二二才の前途ある青年であるところ、一年間の留年の末ようやく内定させることのできた就職先(株式会社ヤナセ)に対し、自発的に辞退を申し出る等、自己の責任を痛感している様子がうかがわれる。

そして、弁護人も指摘するとおり、被告人には、今後大学を通じての就職の機会は、まずないと考えられ、その意味で、被告人は、すでに相当程度、社会的制裁を受けたということが可能であり、右のような制裁は、被告人が執行猶予付きではあっても、自由刑の判決を受けることにより、いっそう顕著なものとなるであろう。しかし、その程度の制裁は、被告人が当然甘受しなければならないものであり、また、被告人の努力次第により、ある程度回復可能な不利益であるということができる。これに反し、被告人をいまただちに実刑に処するとすれば、かりにそれが懲役刑ではなく、禁錮刑であったとしても、それは被告人にとって、一生の運命を左右しかねない、あまりに大きな負担になりはしないであろうか。もとより、それもまた、身から出たさびであるといわれれば、それまでのものであるかもしれない。しかし、それにも拘らず、このような立場にある被告人に対し、自由刑の執行の与える影響の甚大さ(刑執行に伴う直接の精神的、肉体的苦痛は、被告人において当然甘受しなければならない筋合のものであるとしても、それが被告人の将来の運命や人格形成に与える悪影響は、右のような特殊な事情のない者に比べ、著しく大であると考えられる。)に思いをいたすとき、被告人に対し実刑を科するのは、通常の場合にも増して、いっそう慎重でなければならないと考える。そして、右のような角度から、本件における被告人の犯情を、改めて考えるに、本件過失の態様の悪質さは別論としても結果の大小の点を含め、被告人には、前記(1)ないし(4)に記載したような有利な事情を看取することができ、本件全体の犯情としては、この際被告人を刑事施設に拘禁することが絶対に必要であるというまでの心証には到達しないのであって、その間に、刑の執行を猶予すべき裁量の余地も、わずかではあるが残されているように思われる。

以上の諸点のほか、本件犯行をめぐる諸般の事情を考慮し、慎重に検討した結果、当裁判所は、被告人に対し、いまただちに禁錮刑の実刑を科することが、真に必要かつ相当な措置であるとの点につき、じゅうぶんの自信を抱くことができないので、今回に限り相当期間被告人の刑の執行を猶予し、自力による更生に期待することとして、主文の刑を量定した次第である。

(裁判官 木谷明)

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